日本におけるAIDの歴史(2)転機と現状
1996年になって、この頃普及しだしたインターネット上で、精子提供者を募る広告が出されましたⅰ。「一流大学卒」等の条件をつけて、妊娠すれば最高300万までの報酬を支払うとしたこの広告は直ぐに掲載されなくなりましたが、大きな問題となり、翌1997年の日本産科婦人科学会「非配偶者間人工授精についての会告」(現在は「提供精子を用いた人工授精についての会告」)制定の引き金となったと考えられます。
1998年には長野県の医師が、「体外受精は夫婦間に限る」としていた日本産科婦人科学会の会告に公然と反して提供精子を用いた体外受精を行い、学会を除名されるという事件が大きく紹介されましたⅱ。これらのことが行政に、学会レベルでの規制に限界があることを認識させ、第三者からの配偶子を含む生殖補助医療全体の枠組みを考える専門部会をつくるきっかけとなりましたⅲ。初めて国が公式にAIDという治療があることを認めたわけです。
厚労省専門部会で議論の中心になったのは、子どもが自己の出自を知る権利(提供者を特定出来る情報を得る権利)を認めるかどうかでした。委員会ができた1998年、初めて朝日新聞紙上にAIDで生まれ、提供者の情報を求める子どもの声が紹介されましたⅳ。さらに2002年頃からは、偶然自分がAIDで生まれた事実を知った子どもたちから、あらためて告知、提供者を知る権利、そしてAIDの施行そのものに対する疑問が提起され、最終的には子どもの会結成となっていますⅵ。
これらの動きも後押しをして、2003年に公表された厚生科学審議会報告書では子どもの出自を知る権利が明記されましたⅶ。この報告書には、発効するまでは提供精子を用いた人工授精のみを行う、とされています。さらにこの答申を発効させるために必要となった法改正の試案(法務省民法特例中間試案 )では「提供者は親でない」ことが明記されています。ただ残念なことにこの報告書は結局発効しませんでした。
これ以降、AIDについて学会・当事者が議論する動きは活発になりました。2006年には子どもからの要望を支援する団体が初めてAIDについての討論会を開きⅸ、AIDで生まれた方たちのグループ「DOG:DI Offspring Group」の活動やⅹ、AID当事者(AIDを希望する夫婦、AIDで親になった夫婦、子ども)の自助グループ「すまいる親の会」も結成され、当事者間の情報交換を行っていますⅺ。
そうしたなか、2015年にオーストラリアで、匿名性時代の提供者に、子どもに情報提供するべきだとする法律ができました。この法律は世界各国、とくに匿名で提供者を集めていた国に大きな影響を与え、日本でも2018年頃から提供者を集めるのが難しくなっています。
国は2020年、不妊治療を保険適応とするために法律ⅻをつくりましたが、その際提供型配偶子を用いた生殖補助医療についても、AIDに同意した夫が父であり、卵子提供に同意した妻は母であることを初めて法律に規定しています。ただ、この法律では前述した平成15年の法務省民法特例中間試案にある「提供者はこれらの子どもの親ではない」という条文は記されていません。
(文責:久慈直昭)
ⅰ「パソコン通信で「優秀ナ精子モトム」」。朝日新聞(夕刊)平成8年5月8日
ⅱ「根津医師除名へ」朝日新聞(朝刊)平成10年6月23日
ⅲ「体外受精の専門委設置 「非配偶者間」検討」平成10年7月23日
ⅳ「私の父は誰なの・・」朝日新聞(朝刊)平成10年11月14日
ⅴ「「出自」告知、揺れる心 「知る権利」の行方は(あなたの隣で)」朝日新聞(朝刊)平成10年10月13日
ⅵ「第三者との人工授精で誕生の「子どもの会」結成へ 出自知らぬ悩み」朝日新聞(朝刊)2004年9月21日
ⅶ厚生科学審議会生殖補助医療部会。「精子・卵子・胚の提供等による生殖補助医療制度の整備に関する報告書」。2003年4月28日
https://www.mhlw.go.jp/shingi/2003/04/s0428-5.html
(2023/3/10最終アクセス)
ⅷ法務省。「精子・卵子・胚の提供等による生殖補助医療により出生した子の親子関係に関する民法の特例に関する要綱中間試案」に関する意見募集。
https://www.moj.go.jp/MINJI/minji07_00071.html
(2023/3/10最終アクセス)
ⅸ「親子が語るAID 東京・港区で8月5日」朝日新聞(朝刊)2006年08月01日
ⅹhttps://blog.canpan.info/dog/
(2023/3/10最終アクセス)
ⅺhttps://www.sumailoyanokai.com/
(2023/3/10最終アクセス)
ⅻ法務省。生殖補助医療の提供等及びこれにより出生した子の親子関係に関する民法の特例に関する法律(令和2年法律第76号)。
https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=502AC0100000076
(2023/3/10最終アクセス)