精子提供で生まれた方からのメッセージ(大羽やよいさん)
当事者の皆さんの、もっと自分達の意見や考えを知ってほしいという想いからご了承いただきました。
(2025年7月19日に行われた、書籍『自分は何者かを知りたい 匿名の精子提供を生きる』(晃洋書房)出版記念イベントの際のご発言です)
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私は1980年代に中部地方でAIDで生まれました。まず初めに今回このような企画に参加させていただけたこと深く感謝しています。今回の書籍で自分のことを初めてつ綴ることになりました。初めてということで古い話がほとんどですけれども、できるだけ正確に思い出すよう努めて書いたつもりです。少し中身に触れながら今の気持ちをお話しさせていただきたいと思っています。
子どもの頃、私は自分がAIDで生まれたということを全く知らされていませんでした。23歳の時に父親が亡くなり、その後母と二人で暮らしていた時に29歳で告知を受け、今は中部地方で夫と二人の子供、そして母親の五人で三世帯同居で暮らしています。
詳しくは書籍にある通りなので、ここでは詳しくはお話ししませんが、私の子供時代はお世辞にもあまりいいものではありませんでした。元凶である父親は私が23歳の時に亡くなり、私の20代は自分の生活の立て直しで精一杯でした。そうやってなんとか暮らしていく中で、それに加えて生殖補助医療で生まれたという事実が20代の終わりに判明したというのが私のケースです。ですので、私にとって20代は自分の生活の立て直しに充てられ、30代は引き続きなんとか暮らしていくこととそれに加えてAIDで生まれたということと二重の意味で苦しい十年でした。
そうした経験も踏まえて、私はAIDに反対です。このような技術はなくなるべきだと思っています。今回原稿にして書き起こしてみて、改めてわかったことが、私はAIDに強く反対してるんだということでした。
告知を受けた当初はそこまでは考えられていませんでした。ただなんとなくAIDで生まれた私がAIDを批判できるのかとか、親ガチャでハズレを引いたからそう思うんじゃないかとか思ってました。でも今はもうちょっとフラットな形で親を見ているので、親ガチャとかそういう気持ちは今はないですけれども、ただ若い時にはそう思う自分がいて、ですから私はAIDに嫌悪感というか、嫌だなという気持ちがあるのは私だけの問題なんだと思っていました。
ですが、告知を受けてから六年経って苦しくなって非配偶者間人工受精で生まれた人のグループに入りました。そこで他の人の話を聞いて、私だけじゃないんだと驚いたとともに、これは私だけの問題じゃなくってAIDに問題があるんだと気づきました。そして今までAIDを取り巻く環境を私なりに理解して今はAIDに対して怒りに近い感情を持っています。
原稿にするにあたって文章では冷静になりますし、冷静にならないといけないと思っていましたし、今の風潮というか、親に対してひどいこと言っちゃいけないっていう空気が社会にあるような気がし、正直言いますと書籍の中でも空気を読んだと言いますか、書籍の中では落ち着いている書きぶりになっているかもしれませんが私のAIDに対する本質的な気持ちは怒りなんだと思います。
それに気づかせてくれたのは、他のAIDで生まれた人の話もそうですし、別の本で大変恐縮なんですけれども、少し前に出版されたあの大野和基さんの「私の半分はどこから来たのか」という本の中にあるイギリスのAIDで生まれた男性のインタビューでした。その方はインタビューで強い怒りを表明していて、こんな技術なくなってしまえばいいっていうようなことをおっしゃっていて、それを読んで私はノーって言っていいんだとか、生まれた人がAIDを否定してもいいんだっていうことにハッとしました。また、そのイギリスの男性はインタビューで、自分はAIDのせいでこれほどの自分の時間を無駄にしたっていうこともおっしゃっていて、それも今の私の気持ちと全く一緒です。
私もあと他のAIDで生まれた方もそうだと思うんですけれども、このことで自分の人生のかなりの時間を使いました。AIDのことを考えるだけで苦しくなったり、そこから立ち直っていくためにも、膨大な時間を使ってます。振り返って考えるたびに、なぜ私がこれだけの膨大な時間と労力を使わなくてはならないのかと怒りの感情が湧いてきます。
今、世の中ではAIDを含め生殖補助医療に理解が深まってサポート体制が整いつつあるという空気があるように思います。これから生まれる子どもは私たちと違って告知もされるし、もっといい形で生殖医療が進んでいくという意見があるように思います。真実告知はされるべきだと思いますし、良い方向へ向かうことそれ自体はいいことだと思います。でも私はそれ以前にAIDには根本的な問題があると思うし、だからこそこの技術はなくなってほしいと思ってます。
そもそもこの技術は本当にみんなを幸せにする方法なのかなと疑問に思ってます。
日本でAIDが始まってから約70年経ちましたが、その間で私たちが理解したのは、この技術にAIDっていう技術だと思っています。真実告知の問題もあるし。匿名ドナー探しの問題もありますし、そもそも第三者が家族の中に入り込むことをどのように扱えばいいのかということもあります。これだけの問題があるのがAIDだということがわかった70年だったわけで、ということはもっといい技術が生まれたら選ばれなくなって消えていく技術になる可能性、例えば、今IPS細胞で精子や卵子を作る研究がされていて、すごいスピードで医療が進んでいるわけで、技術だけで言ったら近い未来にできそうな気もしています。そうなった時にAIDは廃れていく技術なのではないかと考えています。もし新しい技術ができて、不妊の人でも自分の遺伝子で子どもを作ることができるようになったときに、そういう技術と第三者の配偶子を借りてくる技術の二つがあって、親はどちらを選ぶんだろうかと考えた時に、私は親は選べるなら自分の遺伝子で作った精子や卵子を選ぶような気がしています。AIDは、もし別の方法があるのなら選ばない手段なら親にとってAIDは良い選択とは言えないと思っています。そして親に技術として選ばれなくなれば、医療機関の治療としてAIDは消えていくでしょう。一切利益を得られない状況で労力や予算を割く医療機関がどれだけあるか、その一方で技術として全く使われなくなった後にも子どもは生き続けるわけで、子どもだけが取り残される未来を危惧しています。
私にはAIDは子どもだけが割りを食う技術に思えてなりません。私からは以上です。ありがとうございました。